- コービーについて知りたい!
- マンバメンタリティーって何?
- コービーの伝説を知りたい!
そんな疑問に答えます。
NBAのレジェント、コービ・ブライアントのバスケ人生は壮絶なものでした。
世界中の多くの人々にバスケットボールの面白さ・すごさを広げました。
この記事を読めば、コービー・ブライアントの偉業、功績、そしてMamba mentality(マンバメンタリティ)が何なのかがわかります。
コービー・ブライアントの全てが分かる記事になっています。
最後まで読むことでもっとコービーが好きになるでしょう!
はじめに
2020年1月26日(日本時間27日)世界中を悲しみに包んだ出来事がありました。
コービー・ブライアント(以後、コービー)、娘のジアーナを含む9名が乗ったヘリコプターが墜落し、乗客全員が亡くなりなった出来事です。
このニュースを耳にした時、多くの人が目を疑ったのではないでしょうか。
そして、この出来事が現実であると飲み込むことにかなりを時間を要したのではないでしょうか。
私もその1人でした。
コービーはNBAのスーパースターであり、ファンからだけでなく、多くのバスケットボール選手にとっても憧れの存在でもありました。
私もコービーのかっこよさに惹かれバスケットボールを始めました。
そんな世界中から愛されたコービーについて紹介していこうと思います。
ここで、全世界で300万回以上再生されたコービーに関するかっこいい動画を紹介します。興味があれば見てみてください。
コービー・ブライアント(Kobe Bryant)
基本情報
生年月日:1978年8月23日
出身地:アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア
身長/体重(現役時):198cm/96kg
高校:ローワー・メリオン高校
所属:ロサンゼルス・レイカーズ
コービーの功績
コービーが歩んできたバスケ人生を順に追っていきましょう。
高校からNBAへ
1996年、コービーは高校を卒業した後(当時18歳)、ドラフト13位でシャーロット・ホーネッツから指名を受けNBA入りを決めます。
その後すぐに、コービーの保有権はレイカーズに譲渡されました。
初めてのNBAチャンピオン
2000年、コービーは自身初のNBAチャンピオンとなります。
この時、ファイナル第2戦で足の捻挫をしましたが、第4戦から復帰をてチームをチャンピオンに導いています。
2連覇、3連覇を達成
2000年でNBAチャンピオンに輝いたコービーは、レイカーズを2001年、2002年も連続でチャンピオンに導き、3連覇を達成しました。
自己最多の81得点
2006年1月22日レイカーズの本拠地ステイプルズセンターに訪れたファンはこの日コービーの虜となります。
相手はトロント・ラプターズ。コービーはこの試合で自身最多得点の1試合81得点をあげました。
前半だけで26得点をあげたコービーは、後半でさらにギアを上げ、3Qで27得点、4Qで28得点を上げました。
再びチャンピオンへ
2009年、レイカーズは2002年以来のNBAチャンピオンに返り咲きます。
この時のファイナルMVPはコービーでした。
2度目の2連覇を達成
2010年、昨年に続きレイカーズはチャンピオンとなります。
そして2年連続でファイナルMVPを獲得しました。
コービー自身5度目のチャンピオンです。
アキレス腱を断裂
コービーにとって大きな出来事が起こります。
2013年4月12日のゴールデンステイト・ウォリアーズ戦、コービーはアキレス腱断裂という大怪我をおいました。
マイケル・ジョーダンを超えた
2014年12月14日、マイケル・ジョーダンの通算得点32,292得点を超えます。
これでコービーはNBA通算得点で歴代3位となります。
現役最後の試合(Mamba out)
2016年4月13日、コービーは現役最後の試合を迎えます。
多くのファンがコービーを見送るためにステイプルズセンターに駆けつけました。
いつもと違う雰囲気ではありましが、コービーは試合に集中していました。
そして、最後の試合でユタ・ジャズを相手に60得点を記録したのです。
ラスト3分にコービーが見せた驚異的な粘りが分かる動画がこちら。圧巻の連続です。
そして、この試合の後に行われたスピーチで最後に言った言葉“Mamba out”は多くのファンの心に刻まれました。
コービーのスピーチ動画はこちら。
コービーのNBA引退後
コービーの活動の数々
コービーは、20年間NBAで戦った選手です。引退する時は37歳でした。
引退まで、ほぼ全ての時間をバスケットボールに費やしてきた彼はNBA引退後に何をやっていたのでしょうか?
コービーが引退間際に受けたメディアからのインタビューでは、引退後に「とにかく夢中にやれることをやる。」と答えています。
今までのバスケットボールと同じくらい、もしくはそれ以上の情熱をかけられることをやると言いました。
コービーは引退後に様々なことにトライします。
投資家としての活動。脚本家、スポーツクリエイターとしての活動。チャリティや支援活動。
そして、バスケットボールの指導やバスケットボールを広げる活動など。
実際に、コービーが書いたショートムービー“Dear Basketball”は第90回アカデミー賞(2018年)の「短編アニメーション賞」に受賞され、コービーはオスカー脚本家となりました。
その(日本語字幕が出る)ショートムービーがこちらです。
また、引退後(引退後すぐではなくオスカー賞を獲得した後)に作成されたコービーの生き様を描いた”THE MAMBA MENTALITY”という本は米国でベストセラーともなりました。
その本の最後には、”Bascketball took me everywhere.(バスケットボールは私をどこへにも連れて行ってくれた。)”と書かれ、次のようなことが記されています。
バスケットボールは、思いつくかぎりのすべての機会を、私にもたらしてくれた。計り知れないほど多くを学んだ。それはコートの上でのことに限った話ではない。(中略)そう、バスケットボールは私に世界を見せてくれ、どこにでも連れて行ってくれたのだ。今度はその楽しさを、私が広げていく番だ。
KOBE BRYANT THE MAMBA MENTALITY HOW I PLAY
上記に書かれている通りコービーは引退後も様々な活動を通して、多くの人にバスケットボールの楽しい世界を伝えていこうとしていたのです。
そんなコービーの伝説が詰まった本がこちら。
レブロン・ジェームズがコービーを超えた
ここで、コービーではなくレブロン・ジェームズ(以後レブロン)の話を紹介します。
レブロンがレイカーズに所属している時の2020年1月25日(日本時間26日)、レイカーズのフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦は、レブロンにとって忘れられない試合になりました。
この日は、レブロンはコービーの通算得点(33,643得点)を抜き、通算得点ランキングで歴代3位に浮上しました。
レブロンはもちろんコービーに憧れていました。そして、この2人はお互いにリスペクトし合う戦友でした。
レブロンが通算得点でコービーを抜いた時に、コービーはSNSを通じてレブロンを祝福しています。
この投稿をInstagramで見る
訳:レブロンよ。このまま成長して、さらに次の道へ進んで行け。
この時、多くのNBAファンもレブロンがコービーを超えたことでレブロンを祝福していました。
そして、この投稿がコービーの最後の投稿になるなど誰も思っていませんでした。
2020年1月26日
世界中が悲しみに包まれた日となりました。
前日にレブロンの偉業を祝福したコービーが亡くなった日です。
現地時間26日の9時45分頃、コービー、コービーの娘ジアーナ、そしてバスケットボールチームのメンバーなど全9人が乗ったヘリコプターが墜落しました。
バスケットボール界に多大な偉業を残したコービーの死に全世界が悲しみに包まれた日となりました。
もちろんNBA選手にとってもそうです。
この日に予定されていたNBAの全試合で、コービー・ブライアントの追悼が行われました。
コービーの背番号である「8」と「24」に因み、ティップオフ後にそれぞれのチームが8秒バイオレーション、24秒バイオレーションを通してコービーを追悼をしました。
最後に
この記事では、コービー・ブライアントが残した偉業・功績についてまとめました。
全世界のバスケットボール選手とファンを魅了したコービー・ブライアント。
彼の存在なしには、現代のバスケットボールはなかったでしょう。
私も彼に憧れてバスケットボールを始めました。彼がいなければ、このようにバスケットボールの記事も書いていなかったかもしれません。
コービーはバスケットボールという楽しい世界を見せてくれました。ありがとうコービー。
そして、ヘリコプター墜落事故で亡くなった全9名の方のご冥福をお祈りします。
RIP Kobe Bryant, his daughter Gianna and everyone in the helicopter.